ゼロ年代研究会

長いゼロ年代(1995〜2011)の社会・文化を研究します。

幸村誠‐99年生まれ、90年代・00年代アフタヌーンを語る-

2022年アドベントカレンダー10日目を書きますちろきしんです。

 

アフタヌーン特集も、もう4回目。

 

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もうちょっと「アフタヌーン」らしい作家で書くのを予定していた(黒田硫黄とか植芝理一とかね)今回だが、ちょうど今『ONE~輝く季節へ~』をプレイしていて、Key作品はやっぱり自分の原点になる作品だなあと思うと同時に、漫画読みとしての原点は何かと考えたときに思い浮かぶのは幸村誠の作品だった。

 

24時を既に回っていてちょうど幸村誠のことを考えていたのでもう勢いで書いてしまうことにした。

 

ヴィンランド・サガ』は僕が青年漫画を読み始めた最初に読んだ作品だ。

 

ヴァイキングの動乱の最中に生まれた主人公トルフィンは、父親の復讐のために殺戮の世界に身を投じる。ところが、父の仇の死をきっかけに自身を見つめなおしたトルフィンは、自分がそれまでの過程でどんなに多くの人を殺してきたか、この社会にはどんなに多くの生きられない人がいるかに気づく。そして、ヴィンランド(アメリカ大陸)に移住して新しい共同体を作ることを目指すようになる。そんな話だ。

 

トルフィンが復讐のために戦場に身を置いていた少年時代編の無常な世界で力強く生きるキャラクターの人格にも衝撃を受けたが、クソみたいな社会で生きていけない人を集めて新しい共同体を作るというトルフィンの思想には僕は非常に大きな影響を受けた(僕は大学でサークルを辞めた人を集める「サークル退会者の会」や留年して卒業に不安がある人を集める「そろそろ卒業を目指す会」などを作ったりした。)。

 

「酷い社会でどうやっても生きていけない人」をどうやったら助けられるのかという発想は幸村誠の根本にあるのだが、それが最もよく表れている話が『プラネテス』(掲載誌モーニングだけど……)にある。僕は幸村誠の漫画の中だとこの話に最も思い入れがある。

 

スペースデブリ回収船の船長、フィーには、大好きだった叔父がいた。

 

「ちゃんとした大人になれない人はなれない人は

どうしたらいいんだろう」

 

叔父さんのことを思い返すたびにフィーはそう考えずにはいられない。

 

叔父さんは街の生活に馴染めず、森で暮らしていた。姉(フィーの母)に斡旋された仕事にも行かず、人と交わらず、森に建てた小屋でバイオリンを弾いて暮らしている。

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そんなある日少女の失踪事件が起きた。

 

無職、住所不定、黒人。常日頃から叔父さんを気味悪がっていた街の人は叔父さんに疑いの目を向ける。警察に連行され、犯人同然の扱いを受ける叔父さん。

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世界に絶望した叔父さん。

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最後には小屋まで燃やされ、世界への恨みを抱えて、叔父さんは森に姿を消す。

 

「おいちゃんはぬれ衣だった」

「行方不明の女の子はただの家出で」

「川のむこうの歩道でうずくまっているのを発見された」

 

「おいちゃんは森に消えたまま 二度と姿を現さなかった」

 

フィーは問う。

 

「おいちゃんはどこへ行ったんだろう?」

「このクソみたいな社会についに馴染めなかったひとは」

「どこへ行けばいい?」

 

その問いの答えはフィーも見つけられないでいる。

 

僕もそれをずっと探しているような気がする。

大塚愛の曲を聴いていた話

これはゼロ研アドベントカレンダー9日目の記事である。ゼロ年代研究会のイデオローグとして肩肘張った文章ばっかり書いてきたが、いい加減疲れてきたので、もっと思いつきで書くことにする。

 

僕は基本的に音楽を聴くのが苦手というか、音楽を聴いているとイヤホンや歌詞が気になってしまって別の作業に集中できなくなる(試してみたことはあるのだが)。

かといって歌詞のない音楽を作業中などに流すかと言われるとそんなことはない。言葉に頼って生きている人間としてはあくまでも「言葉」に酔いたいので、歌詞のない音楽は自分の中で盛り上がらない(ゲームやアニメのBGMとして聞く分にはいいのだが)。言葉ではない音に興味がないというか、あらゆる演奏やライブやクラブにはハマれないタイプである。

また、イヤホンなしで音楽を流すのも気が引ける。一人暮らしを経験したことのない僕は、流している音楽を聞かれるのが恥ずかしい・迷惑かもしれないと思ってしまって流す習慣がない。

 

そんな僕が音楽を聴くとしたら、興味をそそられたものを集中して聴く場合だけである。自分でも理由はよく分からないのだが、『さくらんぼ』で有名な大塚愛が自分にどうも刺さり、いくつかのアルバムを真面目に聴いていた時期がある。

やや批評的に言うならば、「さくらんぼ」は「電波ソング」的な異様な明るさを感じた。電波ソング(エロゲ等の音楽)とアニソンぐらいしか聴かない僕は、当時J-POPを毛嫌い(食わず嫌い?)していたのだが、その中でも珍しく惹かれるものがあったのだ。

 

また、パクリ疑惑のあった「プラネタリウム」という曲もけっこう売れていたが、内容的には悲しくかつ純愛の曲で、これもゼロ年代の純愛ドラマブームに近いものがあったように思い、やはり惹かれるところがあった。

オタクだった僕は一般人の文化であるところの純愛ドラマを観ることは恥ずかしく思っていたが、たとえば「セカチュー」(世界の中心で愛を叫ぶ)には普通に感動していたのである(通して観たわけではないが)。

 

そんなわけで大塚愛のアルバムを聴くことにした僕だが、聴いてみるとやはりふざけた曲がある程度入っていて、「電波ソング」に近いノリにやはり好感を持った。ふざけた曲とはたとえば、「石川大阪友好条約」や「U-ボート」や「ポンポン」である。

全部貼るのもアレなので、「ポンポン」だけ貼っておこう。

www.youtube.com

 

タイトルだけで言ったら(『ブラック・ジャック』のアニメ版EDで有名な)「黒毛和牛上塩タン焼680円」などもだいぶふざけているが、曲自体は普通である。

 

もっとオーソドックスに好きな曲では「さくらんぼ」もそうなのだが、明るいものでは「ビー玉」が好きだった。

だが、おそらく一番自分の中で入り込めたのはバラード系だったように思う。ゼロ年代の「暗い純愛」とでも言おうか。思春期には刺さった。

具体的には先ほどの「プラネタリウム」もそうだが、「Cherish」や「5:09a.m.」が好きだった。「5:09a.m.」は1,2を争うぐらい好きだが、「暗い純愛」的な意味でゼロ年代っぽいのは「Cherish」の方なのでそちらを貼っておこう。

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似たようなのはおそらく同時代にもけっこういただろうし、ひょっとすると現代にもいるのかもしれないが、そもそも僕は音楽に食指が動かないタイプなので、当時大塚愛にハマったのはなにか偶然的な力が働いていたのだと思う。

僕の当時のオタクアイデンティティと、J-POPへのアンビバレントな感情(忌避と密かな羨望)とが複雑に葛藤していた中での妥協形成として大塚愛を好んだのではないか、と言うと精神分析的すぎるだろうか。もっと単純に声とか顔とかが好きってのもあったかもしれない。

(ホリィ・セン)

 

鬼頭莫宏③‐99年生まれ、90年代・00年代アフタヌーンを語る-

飽きもせず今回も鬼頭莫宏の話をしていく。

 

テーマは「死」だ。鬼頭莫宏作品のキャラクターはいかの重要なキャラであろうとあまりにもあっさりと死んでいく。『なるたる』の最後は驚愕で、突然現れた訳の分からない暴徒の手で雑にキャラクターたちは殺されていく。

 

『ぼくらの』の小高勝(コダマ)は、成り上がりの土建屋の社長である父親を尊敬していた。「パパは選ばれた人間だ」と確信するほどに。「パパみたいになりたい」とコダマは願った。父は、コダマの全てだった。

 

が、その父はコダマの目の前であまりにもあっさりと死んでしまう。

 

「あのパパが死ぬなんて。」

「何があっても生き残りそうなパパ。」

「生命力に満ち溢れたパパ。」

「選ばれていたはずのパパ。」

「じゃあ、俺は?」

 

そうしてコダマ自身も死んでいった。

 

鬼頭莫宏は『なるたる』最終12巻の巻末コメントにこう書いている。

 

「かけがえのない命」。そんなモノに救いを求めていても先には進みません。あなたがいなくても、たいして困りません。自分がいなくても、まったく困らないでしょう。だからこそ、無くてもよい存在だからこそ、がんばれるのだと思うのです。

 

 当会会誌『リフレイン』「特集:『自己実現至上主義』批判」にも書いたが、現代は人それぞれに固有の価値を持つことが求められやすい時代だ。インターネットの大衆化を背景に個人の「内面」までもが能力主義のもと値札をつけられ、市場原理にのみこまれている。

 

僕(ちろきしん)はずっと、そんな社会に息苦しさを感じていた。学校で友達を作れず、Twitterで友達を作るしかなかった僕は、いかに自分の価値をブランディングするかというSNSが本来持つ競争原理にのみこまれ、精神を消耗していった。

 

今でも僕はTwitterをやりながら、「どうしてこんなに自分は何もできないんだろう」「なんで自分は頑張れないんだ」なんて考えてふさぎ込んでしまうことがよくある。というか、今まさにそうだ。昔からどうやっても直らないので、性分なのだろう。一生そんな風にして生きていくのかもしれない。

 

「全ての人には価値がない」、という鬼頭莫宏流の発想は、そんな僕にとって、今なお瘴気に満ちたネットの世界に身をさらして生きていくしかない自分にとって大きな助けになってきた。どうせ僕は一生「自分の価値」の高さを誇れるような人間にはなれやしない。鬼頭莫宏の作品はそんな無力な人間になんとかその場を乗り切るだけの小さな、でも貴重な力を与えてくれる。

ゼロ年代内面吐露ブームって本当にあったのか?

この記事はゼロ年代研究会アドベントカレンダー7日目の記事です。

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僕、ホリィ・センは前回、ゼロ年代研究会は長いゼロ年代(1995~2011)に固有のエピステーメー(知の枠組み)探しをするのだと述べた。今回話題として挙げたいのは「内面吐露」という枠組みである。

 

浜崎あゆみ(特に2000年前後)、あるいは椎名林檎Cocco鬼束ちひろといった、ダークな内面を歌う歌手がゼロ年代には流行していた。この背景には「内面吐露ブーム」とでも呼べる事態があったようだ。

 

まず、しばしば挙げられるのは95年に半ば社会現象となったエヴァンゲリオンである。エヴァンゲリオンでは、作中において主人公のシンジくんがひたすら内面を吐露するモノローグを繰り返す。このような手法を用いるアニメ作品はそれまでになく、ある種の視聴者にはドストライクだったようだ。

 

オタクカルチャーにおいてはその後、美少女ゲームライトノベルが流行していくが、いずれも一人称の文体で書かれていることが多く、男の主人公がなんらかの葛藤を抱えた際にはそれが読者に対して直接的に表現される。

これらもエヴァ的なものの後継にある、としばしば解釈されているように思われる。宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で「ひきこもり/心理主義」と呼んだものである。

 

東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』でゲームの「ひぐらしのなく頃に」に対して指摘しているように、これらのモノローグ的文章が、作中の状況設定から遊離していき、抽象的に表現されることで、作中のキャラクターと画面の前のプレイヤーがオーバーラップしていく。洗練されたモノローグ文学はプレイヤーの没入を誘うというわけである。

 

松谷創一郎の『ギャルと不思議ちゃん論』によれば、このような事態に出版産業も共鳴していたようだ。1998年~2001年頃に「告白系ノンフィクション」が流行する。

具体的に挙げられているのは、乙武洋匡五体不満足』、大平光代 『だから、あなたも生きぬいて』、飯島愛プラトニックセックス』、 梅宮アンナ 『「みにくいあひるの子」だった私』 などである。どんどんトラウマ的な暗いものがブームになっている傾向がある。

 

松谷はそこに「社会学的」な分析を加える。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件酒鬼薔薇事件、不況などに伴う社会不安への「癒し」としてそれらが機能したのだと。

 

なるほど、これだけの事例を挙げればたしかに、ゼロ年代には「内面吐露」のカルチャーがあったようにも思われる。

だが、ゼロ年代という「時代」が「内面吐露」コンテンツに反映されているという考え方を採るのではなく、エヴァンゲリオンのような特権的な出来事によって美少女ゲームライトノベルのようなものが派生的に生じたとも考えられないだろうか。

とはいえこれらは、冒頭に挙げた浜崎あゆみたちや、「告白系ノンフィクション」ブームとは直接的な影響関係を持っていない。直接的な影響関係がないはずにもかかわらず、同時代的に発生している。だからこそ、「時代」という変数が効いているという分析が可能になるのである。

 

ゼロ年代という"時代"に内面吐露ブームがあった」というこの仮説は、もっと遠く隔たったカルチャーについても見てみることで、より補強できるように思われる。

だが、そういった時代精神のようなものが素朴に反映されるわけでもないだろう。光がレンズを通るときに屈折するように、あるコンテンツになにかが「反映」されているというときは、ある種の歪みを持って反映されている、と考えてみるべきだと思われる。「内面吐露ブーム」という仮説から出発するにあたっての一つの方針として、そう考えるべきである。

 

問題は「内面吐露ブーム」という仮説自体がそもそも棄却される可能性である。たとえば、文学においては遅くとも1930年代に「私小説」というジャンルが成立しており、それが社会とどのような関係を持っているかということが問われてきた(正直僕は文芸批評に疎いので詳しくは知らないけども)。

そうなると、文学においては「内面吐露」という手法が、かなり昔からある種の正統性を獲得していたと言えよう。文学とそれ以外の境界線をどこに敷けるのかは難しいが、上で挙げてきたテキストベースの諸々は、私小説的な文学性の影響下にある可能性もある。

 

エヴァ以前には「内面吐露」はなかったのだろうか。もし「内面吐露」のようなものがあったとしたら、それとゼロ年代の諸々とで区別がつかないのだとしたら、「ブーム」などなかった、ということになるのかもしれない。

すなわち、「内面吐露ブーム」という仮説から出発するもう一つの方針は、エヴァ以前やテン年代において「内面吐露」と類似したカルチャーを見つけてみて、それがゼロ年代の諸々と異なると言えるのか、それとも同じなのかを検証してみるべきだろう。

(ホリィ・セン)

鬼頭莫宏②‐99年生まれ、90年代・00年代アフタヌーンを語る-

今回は鬼頭莫宏の代表作『なるたる』の話をしたい。

 

前回記事で、鬼頭莫宏には「普通の人の普通の人生」に対する敬意の視点がある、と書いた。

 

ひるがえって考えてみると、『なるたる』という作品は「普通の人生」の中で誰もが抱くようなトラウマ的経験に寄り添う立場を一貫して保っている。

 

人が「竜の子」と結びつき命を渡して竜となる。空を揺蕩う竜は届かないものとして表象される。

 

京児が竜の子とリンクし全てが手遅れになってから京児への気持ちに気づいた笙子の話、宇宙に魅入られ竜と共に星を旅する息子リョーリャを探すおばあさんの話、竜とリンクした息子ロバートと軍から逃亡をはかる母親ジェーンの話。シイナの母も、娘・実生を竜から人間に戻すために人生をかけて研究を続けていた。

 

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↑ここいいよね

 

どこかさびしく、自由な存在として描かれる竜。かつては同じ地に立っていたはずのヒトが、そんな竜になり届かないところに行ってしまう。誰の人生にもある「どうしても欲しかったのに届かなかったもの」。それが見事に抽象化され、ファンタジックな設定に落とし込まれている。

 

誰の人生にもあるようなそんな届かないものに対して、そして届かないものに執着してしまう自分に対してどう向き合うか。その視点を大事にしているのが『なるたる』という作品なのだ。

 

どこを読んでも鬼頭莫宏の絶望と希望のふちを歩く人間の姿に感動してしまうのだが、中でも僕が気に入っているのはやっぱりのり夫の死のシーン*1である。

 

のり夫は鶴丸を愛していた。鶴丸に救われたと感じているのり夫にとって鶴丸は全てだった。だが、鶴丸は「孕めない生物」には興味がない。「孕む」身体機能を持っていないのり夫にとって、鶴丸の元にいることは生涯満たされる可能性が絶たれていることを意味していた。

 

それでも鶴丸を助け続ける人生を選んだのり夫の死の瞬間は唐突に訪れた。鶴丸の支援で竜骸「ヴァギナ・デンタータ」を操り、無防備になったのり夫の元に、「豚食い」という嗜虐趣味の男が唐突に表れ、のり夫を犯し殺す。のり夫は自らの竜骸を呼び戻すこともできた。だが、最後の最後まで、自らの死を引き換えにしてでも鶴丸の力になることを選んだのだ。無意味に思えるかもしれない。価値のない死に思えるかもしれない。

 

でも、そんな無意味なことに必死に頑張るのが人生というものではないだろうか。生きる価値を見出せないまま死んでいくのが人生というものではないだろうか。『なるたる』を読んでいるとそんなことを考える。

 

僕は、昔から人と自分を比較して落ち込んでしまうタイプで、いつも、人格、能力、才能、努力の量、あらゆる点で人に比べて自分は劣っていると考えて辛くなってしまうことが多い。そんなときに『なるたる』のエピソードを思い出すと、自分の人生をそこまで背負い込まなくてもいいんだ、と楽になれる。こんなダメな自分でも生きてもいいんだと思える。『なるたる』はそんな気にさせてくれる稀有な漫画だ。

*1:作中の、のり夫の感情の動きについて丁寧に読解しているブログがあるので紹介しておく。

ameblo.jp

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ゼロ年代研究会という「エピステーメー探し」

この記事はゼロ年代研究会アドベントカレンダー4日目の記事です。

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僕、ホリィ・センは子どもの頃から歴史が苦手な人間だった。自分が今生きている時代にしかどうも食指が動かない。

そんな僕も、現代との繋がりが感じられて、適切に現代を相対化してくれるような意味での現代史は好きになったのだった。そのキッカケは、僕がゼロ年代研究会を立ち上げたキッカケの一つにもなっているのだが、活動家の外山恒一さんが開催している教養強化合宿(2015年3月の第二回)に参加したことだった。

外山さんは大まかには1956年のスターリン批判頃から始まる新左翼運動史を通じて現代のポップカルチャー現代思想、「オルタナティブ」と呼べるようなムーブメントなどについても縦横無尽に解説してくれた。同時代の思想だけでなく、文化や芸術やサブカルチャーがまさに"渉猟"されており、それらの間にある有機的な繋がりが浮かび上がってくるのであった。

 

一見無関係なものまでとにもかくにも並列することで、その時代の精神のようなものが浮かび上がってくる。フーコーだったらエピステーメー(ある圏内・時代における知の枠組みのようなもの)と呼んだソレである。

浅学ゆえに原著を読んだことはないが、フーコーの『言葉と物』は、言葉と物との間の関係、要は事物をどのように分類していくかが時代ごとに変化していったことを追いかけている。

図式的な部分だけを言えば、

・中世・ルネサンスにおいては「類似」
・17世紀半ば以降の古典主義時代においては「表象」
・19世紀初頭からの近代における「人間」

エピステーメーであったとフーコーは考察している。

 

ここにはフーコーの名人芸も多分に含まれているものの、その方法に着目してみるならば、たとえば「人間」の時代においては、生物学、言語学、経済学といった一見バラバラなものがいずれも「人間」という枠組みに沿って展開されていった、とフーコーは見ている。

すなわち、個別個別の知のあり方を見ていって、そこからそれら全体を統御している枠組がどんなものであるのかを推論する、一種の仮説生成のような作業をしていると考えればよいのかもしれない(科学哲学で言うアブダクションに近いだろう)。

 

おそらく外山さんがやっていることもこのような「エピステーメー探し」に近いのではないかと思う。大学にいる研究者などはついつい自分の分野だけに囚われがちだが、批評家や知識人はもっと軽やかに知も文化も渉猟してよい。だからこそ見えてくるものがあるはずである。

ゼロ年代研究会の目指すところも「エピステーメー探し」である。知識人が特定の時代を指して「〇〇の時代」と言いたがるのはよくあることだが、ゼロ年代も「動物の時代」(東浩紀)、「不可能性の時代」(大澤真幸)などと呼ばれてきた。

 

テン年代(2010年代)に入ってからは、そのような大上段の時代診断自体が流行らなくなった感があり、もはや「大きな物語の崩壊」どころの話ではない。

そういえば、東畑開人さんが『心はどこへ消えた?』において、現代について「大きすぎる物語と小さすぎる物語」と言っていて、これはこれでなかなか含蓄に富んでいる。東畑さんはコロナ下において生活実感から遊離した政治や経済、データの数字ばかりが語られる状況が「大きすぎる」、一方で中間共同体の支えがない不安定な個人たちについては「小さすぎる」と言っているわけである。

それはともかく、時代を診断するためにはその診断に至るためになんらかのトピックを取り上げる必要がある。先ほど挙げた東さんも大澤さんもオタク現象を興味深く取り上げているが、ゼロ年代における時代診断としてオタクというトピックが選ばれたわけだ。

だがその結果「ゼロ年代」を特権視しているのはオタクだけだという感が否めない。言ってしまえば、知識人がオタクを取り上げることで、オタクが言説のヘゲモニーを握るという循環的相互規定関係というか、共犯関係がここにはあるわけで、オタク中心に編み上げられた「ゼロ年代」のイメージは固まってしまった。

 

しかし、ゼロ年代という時代はそんな単純な話ではないはずだ。自分もたしかにオタクカルチャーの恩恵を被ってきたわけだが、大人になってからは様々な他者と出会う中でもっとサブカルチャー間の結節点を見出していくべきだという気持ちになった。

なかなかオタク中心史観から脱却することはできないのだが、僕の思いとしては、オタクに閉じない「エピステーメー探し」をじっくりとやっていきたいのである。具体的なトピックはまた次回。

(ホリィ・セン)

鬼頭莫宏①‐99年生まれ、90年代・00年代アフタヌーンを語る‐

鬼頭莫宏には、「パパの歌」という短編がある(掲載は『アフタヌーン』じゃなくて『ヤングマガジン』だけど……。*1

 

1991年にリリースされた忌野清志郎の「パパの歌」から題を取った一編だ。「パパの歌」の作詞は糸井重里である。

 

チャラい見た目の夫・隆(たかし)と気立てのいい妻・松葉(まつば)が出産の報告に妻の実家にスポーツカーで向かう、という話仕立てになっている。夫は、いかにもなヤンキー風の世界に生きている。タバコやギャンブルが好きで、少ない稼ぎをスポーツカーにつぎ込む。ドライブBGMは忌野清志郎だ。

 

一方で妻は、優しい母と口数の少ない働き人の父親の元で育ってきた。いたのかいなかったのかわからない印象が薄い父親だったという。

 

ところが、母親は松葉に、隆が父に似ていると語る。彼を苦手にしていた隆は困惑する。が、松葉の実家で父のことを聞いてみると、その過去が判明する。父親もかつてはヤンキーで、松葉が生まれてからタバコをやめてスポーツカーも売り真面目に働くようになった。一方で父親本人は老年ながらも、隆の話に影響されて、またヤンキー趣味を再開したらしい。隆は帰り際、お父さんみたいなのも悪くないかもな、とふと思う。

 

大体こんなあらすじだ。

 

鬼頭莫宏は単純に言えば、「絶望」の人だ。得たかったものが得られず、やりたかったことができず、理不尽に打ちのめされる人々の姿を描いてきた(鬼頭莫宏②で書く予定)。そんな鬼頭莫宏が珍しく満たされた幸福な人生を歩む人々の姿を描いたのがこの「パパの家」である。

 

だからこそ、ここには鬼頭莫宏の人間観が明確な形で見出せる。主人公・隆に重ねられる松葉の父の人生は非直線的だ。ヤンキーとしてスポーツカーに憧れた若いころ。そして家庭を持ち、自分の生き方を”いったんは脇に置いて”家族のために仕事に励んだ中年の時代。そしてまた元気に自分の生き方を追究する老年期。

 

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ここには、鬼頭莫宏の、取り立てて特徴のない”普通の人の普通の人生”に対する敬意がうかがえる。”普通の人の普通の人生”を送ることはそんなに簡単ではない。諦めなければならないもの、耐えなければいけないものが、ここにも、そこにも、いたるところにある。『なるたる』も『ぼくらの』もこの視点だけは一貫している。

 

夢を追うことと自分の大切な人たちを支える人生を送ること、言い換えれば自己実現本位的生き方と共同体本位的な生き方の二つの選択が迫られる中で、安易に自己実現本位的な生き方を選ばず、”いったんは”大切な人のために生きてみる。ゼロ年代は、そうした生き方が肯定されていた時代だったと思う。

 

他にも僕にとって身近な例を挙げれば、『東京BABYLON』、『CLANNAD』や『半分の月がのぼる空』が思いつく。僕がゼロ年代の作品に惹かれる理由は、”特別”になることを強迫的に迫られながらも、どこかで踏みとどまって”普通の人の普通の人生”を生きる選択をする人々が包み込むように描かれているところにあるのだろう。

 

次回の鬼頭莫宏②では、アフタヌーン連載時代の鬼頭莫宏について踏み込んでみていきたい。

*1:鬼頭莫宏は『アフタヌーン』で連載デビューをしている。「アフタヌーン作家」のカテゴリーに堂々入る漫画家だ。