ゼロ年代研究会

長いゼロ年代(1995〜2011)の社会・文化を研究します。

ゼロ年代研究会という「エピステーメー探し」

この記事はゼロ年代研究会アドベントカレンダー4日目の記事です。

adventar.org

 

僕、ホリィ・センは子どもの頃から歴史が苦手な人間だった。自分が今生きている時代にしかどうも食指が動かない。

そんな僕も、現代との繋がりが感じられて、適切に現代を相対化してくれるような意味での現代史は好きになったのだった。そのキッカケは、僕がゼロ年代研究会を立ち上げたキッカケの一つにもなっているのだが、活動家の外山恒一さんが開催している教養強化合宿(2015年3月の第二回)に参加したことだった。

外山さんは大まかには1956年のスターリン批判頃から始まる新左翼運動史を通じて現代のポップカルチャー現代思想、「オルタナティブ」と呼べるようなムーブメントなどについても縦横無尽に解説してくれた。同時代の思想だけでなく、文化や芸術やサブカルチャーがまさに"渉猟"されており、それらの間にある有機的な繋がりが浮かび上がってくるのであった。

 

一見無関係なものまでとにもかくにも並列することで、その時代の精神のようなものが浮かび上がってくる。フーコーだったらエピステーメー(ある圏内・時代における知の枠組みのようなもの)と呼んだソレである。

浅学ゆえに原著を読んだことはないが、フーコーの『言葉と物』は、言葉と物との間の関係、要は事物をどのように分類していくかが時代ごとに変化していったことを追いかけている。

図式的な部分だけを言えば、

・中世・ルネサンスにおいては「類似」
・17世紀半ば以降の古典主義時代においては「表象」
・19世紀初頭からの近代における「人間」

エピステーメーであったとフーコーは考察している。

 

ここにはフーコーの名人芸も多分に含まれているものの、その方法に着目してみるならば、たとえば「人間」の時代においては、生物学、言語学、経済学といった一見バラバラなものがいずれも「人間」という枠組みに沿って展開されていった、とフーコーは見ている。

すなわち、個別個別の知のあり方を見ていって、そこからそれら全体を統御している枠組がどんなものであるのかを推論する、一種の仮説生成のような作業をしていると考えればよいのかもしれない(科学哲学で言うアブダクションに近いだろう)。

 

おそらく外山さんがやっていることもこのような「エピステーメー探し」に近いのではないかと思う。大学にいる研究者などはついつい自分の分野だけに囚われがちだが、批評家や知識人はもっと軽やかに知も文化も渉猟してよい。だからこそ見えてくるものがあるはずである。

ゼロ年代研究会の目指すところも「エピステーメー探し」である。知識人が特定の時代を指して「〇〇の時代」と言いたがるのはよくあることだが、ゼロ年代も「動物の時代」(東浩紀)、「不可能性の時代」(大澤真幸)などと呼ばれてきた。

 

テン年代(2010年代)に入ってからは、そのような大上段の時代診断自体が流行らなくなった感があり、もはや「大きな物語の崩壊」どころの話ではない。

そういえば、東畑開人さんが『心はどこへ消えた?』において、現代について「大きすぎる物語と小さすぎる物語」と言っていて、これはこれでなかなか含蓄に富んでいる。東畑さんはコロナ下において生活実感から遊離した政治や経済、データの数字ばかりが語られる状況が「大きすぎる」、一方で中間共同体の支えがない不安定な個人たちについては「小さすぎる」と言っているわけである。

それはともかく、時代を診断するためにはその診断に至るためになんらかのトピックを取り上げる必要がある。先ほど挙げた東さんも大澤さんもオタク現象を興味深く取り上げているが、ゼロ年代における時代診断としてオタクというトピックが選ばれたわけだ。

だがその結果「ゼロ年代」を特権視しているのはオタクだけだという感が否めない。言ってしまえば、知識人がオタクを取り上げることで、オタクが言説のヘゲモニーを握るという循環的相互規定関係というか、共犯関係がここにはあるわけで、オタク中心に編み上げられた「ゼロ年代」のイメージは固まってしまった。

 

しかし、ゼロ年代という時代はそんな単純な話ではないはずだ。自分もたしかにオタクカルチャーの恩恵を被ってきたわけだが、大人になってからは様々な他者と出会う中でもっとサブカルチャー間の結節点を見出していくべきだという気持ちになった。

なかなかオタク中心史観から脱却することはできないのだが、僕の思いとしては、オタクに閉じない「エピステーメー探し」をじっくりとやっていきたいのである。具体的なトピックはまた次回。

(ホリィ・セン)