ゼロ年代研究会

長いゼロ年代(1995〜2011)の社会・文化を研究します。

大塚愛の曲を聴いていた話

これはゼロ研アドベントカレンダー9日目の記事である。ゼロ年代研究会のイデオローグとして肩肘張った文章ばっかり書いてきたが、いい加減疲れてきたので、もっと思いつきで書くことにする。

 

僕は基本的に音楽を聴くのが苦手というか、音楽を聴いているとイヤホンや歌詞が気になってしまって別の作業に集中できなくなる(試してみたことはあるのだが)。

かといって歌詞のない音楽を作業中などに流すかと言われるとそんなことはない。言葉に頼って生きている人間としてはあくまでも「言葉」に酔いたいので、歌詞のない音楽は自分の中で盛り上がらない(ゲームやアニメのBGMとして聞く分にはいいのだが)。言葉ではない音に興味がないというか、あらゆる演奏やライブやクラブにはハマれないタイプである。

また、イヤホンなしで音楽を流すのも気が引ける。一人暮らしを経験したことのない僕は、流している音楽を聞かれるのが恥ずかしい・迷惑かもしれないと思ってしまって流す習慣がない。

 

そんな僕が音楽を聴くとしたら、興味をそそられたものを集中して聴く場合だけである。自分でも理由はよく分からないのだが、『さくらんぼ』で有名な大塚愛が自分にどうも刺さり、いくつかのアルバムを真面目に聴いていた時期がある。

やや批評的に言うならば、「さくらんぼ」は「電波ソング」的な異様な明るさを感じた。電波ソング(エロゲ等の音楽)とアニソンぐらいしか聴かない僕は、当時J-POPを毛嫌い(食わず嫌い?)していたのだが、その中でも珍しく惹かれるものがあったのだ。

 

また、パクリ疑惑のあった「プラネタリウム」という曲もけっこう売れていたが、内容的には悲しくかつ純愛の曲で、これもゼロ年代の純愛ドラマブームに近いものがあったように思い、やはり惹かれるところがあった。

オタクだった僕は一般人の文化であるところの純愛ドラマを観ることは恥ずかしく思っていたが、たとえば「セカチュー」(世界の中心で愛を叫ぶ)には普通に感動していたのである(通して観たわけではないが)。

 

そんなわけで大塚愛のアルバムを聴くことにした僕だが、聴いてみるとやはりふざけた曲がある程度入っていて、「電波ソング」に近いノリにやはり好感を持った。ふざけた曲とはたとえば、「石川大阪友好条約」や「U-ボート」や「ポンポン」である。

全部貼るのもアレなので、「ポンポン」だけ貼っておこう。

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タイトルだけで言ったら(『ブラック・ジャック』のアニメ版EDで有名な)「黒毛和牛上塩タン焼680円」などもだいぶふざけているが、曲自体は普通である。

 

もっとオーソドックスに好きな曲では「さくらんぼ」もそうなのだが、明るいものでは「ビー玉」が好きだった。

だが、おそらく一番自分の中で入り込めたのはバラード系だったように思う。ゼロ年代の「暗い純愛」とでも言おうか。思春期には刺さった。

具体的には先ほどの「プラネタリウム」もそうだが、「Cherish」や「5:09a.m.」が好きだった。「5:09a.m.」は1,2を争うぐらい好きだが、「暗い純愛」的な意味でゼロ年代っぽいのは「Cherish」の方なのでそちらを貼っておこう。

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似たようなのはおそらく同時代にもけっこういただろうし、ひょっとすると現代にもいるのかもしれないが、そもそも僕は音楽に食指が動かないタイプなので、当時大塚愛にハマったのはなにか偶然的な力が働いていたのだと思う。

僕の当時のオタクアイデンティティと、J-POPへのアンビバレントな感情(忌避と密かな羨望)とが複雑に葛藤していた中での妥協形成として大塚愛を好んだのではないか、と言うと精神分析的すぎるだろうか。もっと単純に声とか顔とかが好きってのもあったかもしれない。

(ホリィ・セン)