ゼロ年代研究会

長いゼロ年代(1995〜2011)の社会・文化を研究します。

汎国民的自由恋愛幻想の崩壊・変容とセカイ系 そしてメンヘラ/弱者男性へ…

12/11の記事で筆者はセカイ系の「想像力」の社会的、歴史的な根拠を示したが、これは結局セカイ系において自意識の問題がロマンティックな恋愛との関係において描かれたことの説明をなしえていない。

 

本稿ではこの問いへの仮説的解答として、セカイ系作家の世代における汎国民的自由恋愛幻想の崩壊と変容を見出したい。自由恋愛の社会的条件は概ね以下のように説明できる。

 


資本主義・国民国家市民社会において人間は市民化=商品化すると同時に人間と人間の関係をも社会的関係として商品化されてきた。近代において人間は誰もが自由で卓越した「個人」になれると考えられたが、実際には法の下の平等という名目において凡庸な「何者でもない、誰か」が大量に生み出されただけだった。身分の交換可能性の法的な「保証」によって近代人はつねに卓越化への飽くなき資本主義的自己陶冶に埋没していくことになる。同時に、資本主義の発展と共に都市化が進行する中で、これら凡庸な諸個人=労働力商品たちは、かつて伝統的共同体で備給されえた(もしくは絶対的に備給されえなかった)性的承認とそれに基づく「卓越性」を自分と同じ「自由」で「平等」な諸個人との関係=自由恋愛に求めるようになる。この時見出された「愛」なる感情はすぐさま異性愛的性規範=生殖のイデオロギーとして国民国家の生権力に簒奪され、資本主義において消費されゆく商品にまで貶められた。(拙稿

note.com

より引用 )

 


とはいえ、本邦において実際に恋愛結婚と自由恋愛が国民の間に広く浸透するのは二十世紀も後半になってからのことだし、また恋愛結婚と自由恋愛を同一視することもできないが、バブル崩壊就職氷河期以降、経済的に「下流」化した若者たちが同時に性愛と結婚の機会をも喪失し、ゼロ年代には「非モテ」をめぐる問題が噴出し始める。その代表的な論者が本田透であり、彼の非モテ論は当時例えば滝本竜彦の『超人計画』などと響き合うところが確かにあった。「三次元の女の子といかに関係を結ぶか?(あるいは、そこからいかに退却しうるか?)」という問いがゼロ年代の当時まだ若かった非モテオタクにおいて生じた時期である。

 

だが、自由恋愛の変質はその「脱落者」に限った問題ではない。セカイ系作家に限っても、たとえば新海誠ほしのこえ』のオリジナル版には、炬燵で当時の恋人の女性と向かい合って台詞を吹き込んだという有名なエピソードがあるように、セカイ系作家を単に自由恋愛からの「脱落者」と見なすのは無理がある。

 

ゼロ年代新自由主義的な空気が全面化しはじめた時代だと言われる。市民社会が衰退し、「公共の福祉」なるものも疑わしいものになった時、人間は「自己責任」において経済的自由領域を確保せざるをえない。この時、「能力主義」的選別から脱落した者は、他者との関係において「福祉」の代補を試みることにもなる。一種の共同体主義としてシェアハウスをはじめとするコミュニティの仮構ーー宇野が『ゼロ想』時点で評価したのも概ねこれであるーーが、その方途として現れる。ツイッターをはじめとするいくつかのSNSもこの潮流の中に位置づけることは可能である。

 

他方でかかる関係は「絶対的な二者関係」として、親密な性愛関係においても見出されていく。セカイ系的な「君と僕」の絶対的二者関係においてその外部としての「他者」や「社会」は根本的に敵対的な存在であり、それらをいかに不可視化(削除)するかが求められるだろう。こうした過剰に密着的で盲目的な二者関係は現在では「メンヘラ」的な恋愛のあり方としても現れているが、男性オタク的表現においてそれを最初に主題化したのがセカイ系であったことは疑いを容れない。

 

汎国民的自由恋愛幻想からの脱落にせよ、「絶対的二者関係」としての性愛への逃走にせよ、セカイ系における恋愛と実存の問題の前景化は、結局のところ自由恋愛の変質をめぐる実存的不安を背景にしていたと言ってよい。

 

ところで、自由恋愛におけるこの両者の反応は、雇用問題とも相即して現在ではそれぞれ「インセル/弱者男性」と「メンヘラ」として顕在化してきている当のものである。ここでは詳述はしないが、とりわけ前者は、ゼロ年代非モテ論壇を社会構築主義(経済状況への着目)と屈折した本質主義進化心理学的な男女論)の奇妙なキメラによって「政治化」したことで生じていると言って過言ではない。論者の多くが中年化していることもあり、彼らにおいてかつての本田透滝本竜彦にあったユーモラスな側面は失われている。それどころか、「女性への復讐」としてのジョーカー的テロルはもはや我々の日常と隣合わせでさえあるだろう。今やトー横キッズとしても現れている「メンヘラ」の問題の場合も事情は変わらない。セカイ系に始まるゼロ年代の諸問題は今なお持続しているのである。

(黒羽)