ゼロ年代研究会

長いゼロ年代(1995〜2011)の社会・文化を研究します。

印象 ゆとり世代

ゆとり世代

この言葉の由来となった「ゆとり教育」は、学習指導要領が1998年に改訂(2002年に実施)され2016年に再度改訂されるまでの10年あまり、詰込み教育を脱し総合的学習や個を重視した「ゆとり」ある教育を掲げていたことから広まりました*1。そして「ゆとり教育」に対するネガティブなイメージは、2000年から実施されたOECDによる学習到達度に対する調査であるPISA(Programme for International Student Assessment)の結果が、読解力についてあまりふるわず、さらに2003年、2006年と日本の順位の順位が下がり続けたことに端を発する「学力低下」論争によって植え付けられました。

ゆとり教育の下敷きとなった旧文部省の「新学力観」は、受験競争や学歴偏重といった社会問題をうけて1970年代から80年代に提唱されるようになりました。それまで増加していた授業時間数は改訂のたびに少しずつ削減され、丸暗記ではなく創造性や個性を重視する必要が議論されてきました。それが90年代には政策に本格的に反映され、1998年の学習指導要領の改訂に至ります。その時に持ち上がったのが学力低下論争でした。

90年代はバブル崩壊に端を発する高度経済成長期の終焉と「失われた」低成長時代の始まりでした。ゆとり教育の前提であった、皆が高等教育を求めて激しく競争する総中流志向も崩壊し、階層ごとに教育へのモチベーションに差がありそれが世代間で再生産される格差社会であるという指摘が注目されるようになりました。個性を重視するゆとり教育は、階層差に基づくモチベーションの違いという「個性」も重視してしまう、格差社会に適合的な学力観ともいえるかもしれません。

ゼロ年代前半に加熱した学力低下論争は文科省の政策の方向を変化させました*2。2016年の改定で授業時間は再び増加傾向となり、教科書の記述量も増加しました。しかし、学力低下論争が鳴りを潜めたのはこうした政策の変化ではなく、いわゆるゆとり教育をもっとも長期間受けた学年であるにもかかわらず(!)2009年、2012年のPISAの結果が良好だったからでしょう。残念ながらこの結果はあまり知られておらず、ゆとり教育を受けた世代、いわゆる「ゆとり世代」の負のイメージを払しょくすることはありませんでした。*3

私が今でも憤りを感じるのは、所属していた大学で2010年代に行われた制度改変の理由に「学力低下」が挙げられていたことです。授業の合間の世間話としてゆとり世代をくさすのは大目にみるとしても、根拠の乏しい印象論がこのような「実害」に結び付くのは全く看過できない!と、全身を激しい怒りが貫いたことを思い出します。

にもかかわらずこれから印象論を語るのは恐縮ですが……あくまで印象を述べるなら、ゆとり世代とは日本社会の転換期に立つ世代であり、旧社会と新社会のはざまで価値観を引き裂かれた世代であるということです。

これまでは、集団に献身し集団のなかに自らの役割を求める社会でした。これからは、自分自身の幸福が行動の指針であり、自己実現を求める社会です。これまでは、集団が個人のアイデンティティでした。これからは、個人が集団のアイデンティティであるところの多様性に価値がある社会です。これまでは、性役割を是とする社会でした。これからは、性役割を否定し個人を尊重する社会です。これまでは、集団が個人に介入することは恩恵でした。これからは、集団が個人に介入することは暴力です。

このような社会の転換に対する年長者の戸惑いが、ゆとり世代への否定的な印象につながっている、というのが私の印象です。というのも「ゆとり」とは、せんじ詰めれば集団より個人を優先する、集団の束縛に従わないことについて言われているように思うからです。ゆとり世代につづくさとり世代*4とは、まさにこのような価値観の転換を受け入れた――悟った――世代ということができるでしょう。もちろんゆとり世代が外から見るとゆとっているだけであるように、さとり世代は外から見るとさとっているだけであって、新しい価値観を内面化したというのが正しいのですが。

これは、ゆとり世代にひとつの課題をもたらすように思います。昭和世代の価値観も、さとり世代の価値観も、ともに内面化することができず「学ぶ」ことになるのがゆとり世代なのです。

この課題は(私の印象論だから当たり前ですが)私自身について非常に当てはまることです。高校の三つくらい上の学年に資本論の通読を自負する筋金入りのマルキストがおり、私自身もプロレタリアート独裁を目指す古典的なマルクス主義を接種して(多少免疫をつけた)思想形成を行いました。社会問題とは格差・階級問題であり、その解決は国民国家の制度・政策上の問題であると考えていました。その解決は前衛党的な自負を持つエリートに課せられているという使命感が社会問題への興味を形作っていましたし、正しさは(私自身も含めて)社会的・言語的に形成されるのであって個人の内面から湧いて出てくるものではないという哲学に強く魅了されていました。私の学習意欲はその世代的制約も相まって、昭和世代の、個人を捨象する思想に向けられていたようです。ところが、長じていくに従い私を魅了した思想は次々に揺るがされ、批判され、まさに問題の元凶とみなされていることに気付きました。私はアイデンティティ政治を学び、フェミニズムを学び、リベラリズムを学ぶことを通して、個人の自由意志の涵養とその選択の政治的重要性を学ばなければいけませんでした。

振り返ってみると、私が最初の思想形成を行ったゼロ年代は「自分探し」の時代でもあったように思います。私自身は偏狭な思い上がりから、自分そのものに自明な価値があるわけがないと端から切り捨てていたわけですが、その自分探しこそ「これからの価値観」をなんとか内面化しようとするゆとり世代の努力だったように思われてなりません。自分自身を問い直すことから社会とのかかわりが始まるという思想こそ、ゼロ年代に胚胎されテン年代に花開くものだったと今なら言うことができそうです。

最後に宣伝です。今までの印象論は、いわゆるX、Y、Z世代の区分ときれいに符号するわけではないですが、Z世代の価値観を学ばなければいけないという問題意識から、『ジェネレーション・レフト』を読むことにしました。興味のある方は@KNabezanmaiまでご連絡ください。

文責 雪原まりも

*1:

学習指導要領の一覧 -- 学習指導要領のデータベース -- 国立教育政策研究所教育研究情報データベース

*2:2003年の一部改正で学習指導要領は「ミニマムスタンダード」であり、それ以上の内容を教えてもよいという方針が示されていました。

*3:こうした事情については、『「ゆとり」批判はどうつくられたのか』が詳しい。

 

 

*4:さとり世代はゆとり世代と同一視されることもある。